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照井康文

世界の写真家達
Alfred Stieglitz(1864〜1946)
アルフレッド・スティーグリッツ
 1864年1月1日アメリカ・ニュージャージー州ホボケン生まれ。写真を写真として芸術の世界に認めさせた写真家。写真家としてだけではなく美術全般に大きな貢献をした人物でもあり、パブロ・ピカソを中心とする現代芸術を紹介し、アメリカにモダンアートの基礎を作ったのもスティーグリッツである。初期のスティーグリッツの作品は絵画的なものであったが後に一変、リアルなスタイルへと変わっていく。
 裕福な家庭に生まれ幼少をニューヨーク市マンハッタンの父の持ち家で暮らす。スティーグリッツ家のサロンにはよく作家や画家、美術愛好家が集まり、10代の彼もよくそれに加わっていた。数学に興味を持っていたスティーグリッツはニューヨークのシティ・カレッジで学んだ後、ドイツのベルリン工科大学で工学を学ぶ。それは将来を約束されたも同然であったが、1883年ベルリンの店先でカメラと出会ってから人生が変わる。スティーグリッツは工学を学ぶのをやめ写真科学のクラスに入る。ピーター・ヘンリー・エマーソンが審査するコンテストに入選し、同氏からの激励をきっかけに写真家として歩んでいくことを決意する。
 左写真・「3等船室」1907年
※写真はライフ写真講座「プリント」
タイムライフブックス編集部・編集 タイムライフブックス・発行より
 1893年一度結婚するが、妻はスティーグリッツの写真への意欲に理解することが出来ず破局してしまう。1901年ナショナルアートクラブの提供により、スティーグリッツ自身の考案による「写真分離派によるアメリカ写真展」を開催。これをきっかけに「写真分離派」が結成されていく。この運動の記録のため、1903年1月スティーグリッツ自身の企画・出版による「カメラ・ワーク」が発刊される。1905年写真分離派のメンバーであり、スティーグリッツと交流が深く画家兼写真家であったエドワード・スタイケンの考案により、同氏のアパート(5番街291番地)にギャラリーを開く。後にギャラリー291と呼ばれるようになり、芸術家や美術評論家から注目されるようになった。ギャラリー291ではロダン展をはじめ、マチス・ピカソ・ブラック・セザンヌ・ブランクーシ等、当時まだ無名であった多くの美術家を紹介していく。1915年、若手の写真家ポール・ストランドのリアルな写真と出会いスティーグリッツの写真に対する考えとスタイルが変わっていくこととなる。同年、テキサスの女流画家ジョージア・オキーフの絵を本人に無断でギャラリー291に展示したのをきっかけに1924年スティーグリッツはジョージア・オキーフと結婚することとなる。1946年7月13日脳卒中で死去。
 
上写真・「エキヴァレント」1931年
※写真はライフ写真講座「68人の写真家」
タイムライフブックス編集部・編集
タイムライフブックス・発行より
※参考文献・ライフ写真講座