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照井康文

世界の写真家達
Minor White (1908〜1976)
マイナー・ホワイト
 「カメラを持った詩人」と言われたマイナー・ホワイトは1908年7月9日、ミネソタ州ミネアポリスに生まれ、写真家としてだけではなく写真教育者としてもアメリカ写真界に大きな貢献を残した。ミネソタ大学で詩を作ったり植物学を学んでいたホワイトは大学を卒業後YMCAの宿舎で暮らし、ウエイターやバーテンダー等をしながら生活をしていた。ホワイトは1938年にオレゴン州ポートランドへ引っ越した後、オレゴン・カメラ・クラブに加入しニューディール政策の一環として行われていたポートランドの宣伝写真を撮影する。その後1942年にポートランド美術館でホワイトの初個展が開催される。ホワイトは第2次大戦で陸軍の情報部に所属するが1945年に勉学のためニューヨークへ行き、1946年当時82歳であったアルフレッド・スティーグリッツと出会い芸術家としての写真の道を歩むこととなった。
 左写真・「うつろな顔」1962

 ホワイトはアンセル・アダムスの紹介で1946年から1953年までカリフォルニア美術学校で写真を教えた後、1953年にジョージ・イーストマン・ハウスのキュレーターとなり同社の雑誌「Image」の編集に係わる。1956年から1964年にはロチェスター工科大学で、1965年から1976年にはマサチューセッツ工科大学で写真の教育を行う。晩年のホワイトは写真教育にヨガ、禅、ゲシュタルト心理学等を取り入れ、写真技術を教えるだけでなく写真を鑑賞する教育にも力を注いだ。
 1952年ホワイトはアンセル・アダムスドロシア・ラング、バーナラ・モーガンと共に写真雑誌「Aperture」(アパチャー)を創刊し、1975年まで編集にたずさわる。1970年にはグッゲンハイム・フェローシップを授与。1976年6月24日死去。
※参考文献・ライフ写真講座  

 

 左・「浮いた海草」1950 右・「グランド・ティートンズ」1959
※上・下右写真はライフ写真講座「ライフ写真年鑑1977」下左写真はライフ写真講座「写真の主題」
タイムライフブックス編集部・編集 タイムライフブックス・発行より